相手の言いたいことをちゃんと把握できてこその議論だと思う。その「ちゃんと把握でき」るとはどういうことなのかを考えてみると、以下で言う「面」で捉えることに相当しているのだろう。しかし往々にしてそれがうまくいかないことがあることについて。
点で捉える ¶
(あまり親しくない)他人に対してピンポイント(点)でしか伝えられない。 つまり広がりを持った物事(面)を人は伝えられない。
たとえば、ヨシオちゃんがトミーと歯ブラシの話をしていたとしよう。 トミーは世間の歯ブラシ事情に詳しく、どのメーカの歯ブラシが良いとか悪いとか、マニアな話を繰り広げてくる。 ヨシオちゃんは別に歯ブラシなんて「どうでもいいや」と考えているけれど、トミーとは恋敵なので負けたくない。そこでトミーにうまく話を合わせている。
トミー:リーチの立体サイド極細毛 ((詳しくはhttp://reach.jp/products/brush/shisyu.html 参照のこと。))が最高にクールなんだ! ヨシオ:そうだね、クールだよね!
みたいな会話が延々と続く。 こっそりとヨシオちゃんは、歯ブラシ事情に精通したトミーが言っていた「リーチは最高にクール」な話をモモカちゃんに、さも自分の話のように話したとしよう。 付け焼き刃の知識で話すヨシオちゃんはきっとこう言うだろう。
「リーチは最高にクールで、他のはもうだめだめさ」
面で捉える ¶
実はトミーが言ったのは「リーチの立体サイド極細毛が画期的で最高にクール、他の歯ブラシにはないもの」という意味で、決して「他の歯ブラシはだめだめだ」なんてことはなかった。 他の歯ブラシにも違う部分でクールなところがある。
だがヨシオちゃんは「リーチは最高にクール」=「それ以外はだめだめ」ということだと受け取ったのだ。これはピンポイントな伝わり方をしたためだと言える。広がりをもった伝わり方とは、上のような例で言うと「リーチは最高にクール」≠「それ以外はだめだめ」ということだ。
いやいや、それならば「それ以外はだめだめというわけでもない」と敢えて付け足せば良いではないか? これで広がりを持たせることが出来るではないか、と思うだろう。 実際、「リーチは最高にクール」発言よりかはピンポイントでなくなり、広がりが得られるだろう。 それは確かに認めるが、結局のところ、そうすることに意味がないと分かる。
なぜならトミーが「それ以外はだめだめというわけでもない」と言ってしまえば、途端に話がややこしくなり、歯ブラシに無知なヨシオちゃんは「どういうこっちゃねん」と訊きたくなる ((ポイントはヨシオちゃんが歯ブラシ事情に無知であることだ。でトミーはそれを知ってか知らでか、自分と同等の事情通だと見て話している。))。 トミーが言いたいことは、あくまでリーチの立体サイド極細毛のクールさであって、それ以外は二の次だから、ややこしくなるのだ。
それではピントがズレて伝えたいことがぼやけてしまう。 ピンポイントなことさえ伝えられない。 はっきりと伝えられるところがあってこその広がりなのだ。
有意義な議論をするためには ¶
では、全く広がりを持った話はできないのかということになる。 結論から言えば、そういうわけでもない。 なぜならもしもヨシオちゃんが、それなりに昨今の歯ブラシ事情に関して知識があれば、話は別だと言えるから。 つまりヨシオちゃんに敢えて「それ以外はだめだめというわけでもない」と言わなくても、ヨシオちゃんが空気を読んでそうなのだろうと思い、あくまで確認のために「それ以外の歯ブラシは別にだめだめというわけでもないんだよね?」と言えばよい。 話は本筋から離れず、尚かつ広がりを持って、確かにピントもズレていない。
コンセンサスを得られるということは、ある程度の前提をお互いが共有すること ((まぁ同じ前提に立つという時点で、何だか限定されるわけだが。))。 それはつまり“この人はこういう人”という認識がある場合に成り立つことで、逆に言うと、記事の冒頭に括弧で書いてある(あまり親しくない)他人に対しては無理だという話だ。