– 言いたいこと、言いたいだけ。
ここに書いてあることについて

どうしようもないこととか

2005.04.25 福知山線脱線事故について 2005年4月25日、JR福知山線の尼崎駅-塚口駅間で起きた列車脱線事故とその後について。

「障害があるから、何だって言うの?」

自分の代わりがいる世界を眼前にして 「別に自分はいなくてもいい」と思い、それを寂しいと感じる人には一読してほしい文章です。答えはありませんが、ヒントならあります。

「 夢なんて、無くてもいいじゃない。」 自分の夢をかなえることと同じくらい大切なものがあると思います。

ひとごとと思わないからこそ ひとごとでないと思うこと。そこから感情が生まれるのだと僕は思います。

ひとごと ひとごとと見なすからこそ保たれる平穏もあること。薄情だと言うひとがいるかもしれないけれど、生きるってそういうことでもあるのだと僕は思うのです。

死刑制度の賛否について 考えなければいけないことは、死刑という所作に対する賛成・反対なのではなく、その制度についての賛否なのです。だけれども制度自体を考えるということは、とても難しく、感情だけでは制度は論ぜず、感情がなければ制度を考える意味がないでしょう。自分だけが納得すればいいという話でもありません。

個人的には、これは究極の選択。 いわゆる作品と呼ばれるもの全般、その評価の在り方の話。生きていくうちで、ひとは色々なものを見たり聴いたりしていることに目を向けてみました。

意識ひとつで変わりそうなこととか

電車内でのケータイのマナーについて 法律とは違って、守らなくても罰せられないのがマナーであるのだから、それに対するスタンスも、法律に対する考え方とは別であるべきではないでしょうか?それはもちろん「罰せられないのだから守らなくてもいい」という考え方ではありません。

優先座席の意味を考える 優先座席とは何なのかを考えることによって、よりよい車内環境を実現するためにどうすればいいかに対して一つの案を示しています。

成績は良いに越したことはない 他者との相対評価としての成績について、その良し悪しだけが全てではないということ、けれど成績の良し悪しだけで判断されがちだということ。それについて書いています。また、一歩を進めて、成績についてどうあるべきかについても言及しています。

選べる場合 書いてあることは何ら難しいことでないと思いますが、いざそれを実践しようとすると、慣れるまでが大変でしょう。

定量性について — 程度の差こそあれど同じか? 「程度の差こそあれ、同じ」と言うとき、もしもその「程度の差」が1と1万くらいの差があったなら、あなたはそれを同じと言えますか。

安・正・速・楽 この考えが身に付けば、ルーチンワークにおいては何も憂うことがなくなるでしょう。

バカになれない人間は馬鹿だ 「安正速楽」とセットでの一読をオススメします。「安・正」の考えの後にくるべき「速・楽」が、いつの間にか先行してしまうと、全くダメになってしまうということです。急がば回れ。

派手に転べ、強く起き上がれ。 失敗はみな恐れるもの。でも失敗を恐れて消極的になると、逆にそれは失敗に繋がる。発想を変えよう。「転んだっていいじゃないか」と。むしろ大いに失敗して、その失敗を繰り返さないようにすればいいのだ。

だから言うのか、言わないのか。 言っても言わなくてもどちらでもいいことについて。自分が「(別に言ってもいいけれど)言わなくてもいいこと」だと思っていることが、他人の「(言わなくてもいいかもしれないけれど)言ってもいいこと」である場合がある。もちろん逆の場合も。言うなれば一言多い人、口数の少ない人について。

なぜ赤の他人とは深い議論が出来ないか 相手の言いたいことをちゃんと把握できてこその議論だと思う。その「ちゃんと把握でき」るとはどういうことなのかを考えてみると、ここで述べている「面」で捉えることに相当しているのだろう。しかし往々にしてそれがうまくいかない場合があることについて。

恥を知れ 「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」とはよく言ったもので、どちらにせよ、恥なのですよ。恥を忍んで、恥をさらす。

主義とか主張とか

科学技術論——科学と技術との分離・融合 大学の講義に科学技術論なるものがあり、それのレポートに書いたもの.科学を志す者として,何かしらの考えはあって然るべきかも.

年賀状を書こう。 年賀状は贈り物だと思う.