最終更新日: 2019/11/18 作成日: 2019/11/18

一般論はどこでも読めるだろうから、研究について書いてみたい。

型を知ること。

よい研究とは何かを知ること。だと思う。でも、よい研究って何だろうな。科学を営む上で、まず予想を立てるものだと思う。その予想を検証したとき、研究したことになる。つまり研究とは、予測して検証すること。付け加えるなら、今まで誰もしたことがない内容について検証すること。予測は、ほかの誰かがすでに考えていてもいいと思う。

検証と一口に言っても、方法はいろいろとある。数学や算数を使ったり、パソコンに計算させたり、実験したり。いろいろな方法があるけど、得られた結果と、自分が立てた予想は合ってたのか、それとも違っていたのかを調べることは必ずしなければいけない。それは考察と呼ばれている。考察のない研究はよい研究とは呼べない。やりっぱなしはよくない。

たぶん基礎研究をしている人間は、「予想を立てる」にあまり力点を置いていない気がする。「そこになにか面白いことがあるんじゃないか」という漠然とした好奇心を原動力にしている気がしている。言ってみれば、勘とか直感みたいなものかもしれない。応用研究寄りになると、最初からもっと明確な予測があって、それを検証するものだと思う。応用寄りでも面白い研究はあるから、基礎研究か応用研究かは問題じゃないと思う。

ただ、うまく言語化できていないものを原動力にしたままだと、考察するときに苦労する。だって予想が曖昧だと結果が合ってるのか違っているのか判断が難しいから。そうか、「合ってるかどうか」ではないのか。「面白いかどうか」なのかな。そして考察すべきは「どう面白いか」かな。なるほど、よい研究は面白い。うん、それはそう。

さて、面白さとは何か。これをうまく言葉にできるようにならなきゃな。たぶん、面白さの型を知らなきゃいけないんだと思う。何に面白いと感じるか。でもそれはまたの機会に。

それから、型にはまること。そして、型を破ること。

敢えて自分から型にはまってみることは、一度はしなきゃいけないんだと思う。そうやって初めて、本当の意味で型を知ることができる。言うは易し、行うは難し。実際に自分自身がよい研究をすること。どうすればよい研究ができるか試行錯誤することで、その型を学ぶことができる。

最後に、型から敢えてはずれてみることなのかもしれない。これについてはまだまだぼくは分からない。守破離。