最終更新日: 2012/02/25 作成日: 2012/02/25

やるべきことを自分が本当にやり遂げられるかを不安に感じる必要はない  (via 発声練習 )という記事を見た.書かれている内容は正論というか,納得できることではある.ただ,もう少し別の見方があるのではないかと思った.

ひとまず上のリンク先と僕の主張が同じ部分を述べておきたい.何より,やるべきことを自分が本当にやり遂げられるかという類いの不安は,実際にそれにトライしていくことでしか拭い去れないということ.“千里の道も一歩から”という意味でもあり,“案ずるより産むが易し”だったりする ((もちろん不安の対処法としての話で“千里の道も一歩から”だけれど,必死に歩いたのにまだ百里にしかならなくて「あと九百里もある!これは無理かも…」となったらアウトだという話.そういうときは気分転換して,焦らずに着実にやるべきことをこなせるようになる必要がある.「まだ九百里もある」のか「あと九百里まで減った」と考えるのかで全然違ってくる.))という意味で.以下に書いてあることは,実際にトライするという,まさにこの部分が欠けていれば全く無意味になるので注意.

不安とは何か

まず冒頭に書かれている「不安に思っても何にもならないので」というところについて.ぶっちゃけて言ってしまえば,確かにそうかもしれない.そうかもしれないが,“それでもやっぱり不安”になる.そうなってしまったならどうするべきか.リンク先では,そういう不安は「抑え込むか注意をそらしてください」と書いてある.これに対して僕は,その不安を敢えて解消の糸口にすると良いのではないのか,と言いたい.漠然とした不安(やるべきことを自分が本当にやり遂げられるか?無理じゃないのか?など)から歩を進めて「そのすべきことのどこが僕を不安にさせるのか」とより具体的に不安を分析してみたり,逆転の発想で「何をすれば,いま自分を苛む不安を払拭できるのか」と考えてみる.その答えを見つけて ((すべきことが明確になっている場合は,その答えはほとんど自明なくらいハッキリしているはず.答えが分からない場合は,そもそもすべきことを正確に認識できていないと思った方がよい.もしくは本当にそれを「しなければいけない」とは自覚できていないか.)),その不安を一つずつ解消する ((結局は実際にすべきことにトライしていることに等しいのだけれど,不安を押し殺しながら,ただ「しなきゃいけないからする」こととは違っている.)).これは決してその不安を押え込んでもいないし,注意をそらしているわけでもない.

そもそもが漠然としているから不安になるわけで ((漠然とした不安は,リンク先で言う「今の現実を良く進める手助けをかけらもしない『不安』」に相当するのだろうと思う.だから必要ないというのではなくて,むしろそれを糸口に「今の現実を良く進め」ようと言いたい.)),すべきことが明確に分かったら後はするしかない.違う言い方をすれば,そのすべきことをした方がむしろ気分的に楽だと思う ((これもある意味でマインドコントロールと言えるかもしれない.ポジティブに言えば自己啓発の一種?格好良く言えば,より良く生きるということになる?)).ここらへんはGTD の考え方が非常にタメになるだろう.僕としては不安要素は先に把握しておきたいし,その不安がいま解消可能ならサクッと解消しておきたい ((自分には解消できない不安がもしあったとして—それは往々にして不確定要素としてあるわけだが—それはどうしようもないのだから,不安になるだけ無駄.もしも予期せぬ何かのためにすべきことがやり遂げられなかった場合は,そもそも予期できていなかったので,どうしようもない.やむを得ないと言って受け入れるしかない.マネジメントできないリスクに邪魔をされたならばそう責められるはずはない.そんな“漠然とした”不安に押し潰されても仕方ないでしょう.)).リスクマネジメントという意味も込めて.

作業をする機械

一番引っ掛かったのは「作業目的と作業終わりを明確にし、己れを機械として扱う」というところ.この言葉を,作業をすることが嫌で仕方ないから機械のように振る舞うという意味だと僕は解釈した.確かに,不安が拭い去れないならば,要らぬ心配が脳裏を過ってすべきことが一向に進まず,無駄に時間だけが過ぎて行き,その作業がほとほと嫌になる.だからと言って,リンク先に書かれている「頭を動かすな、手を動かせ」は,僕は違うと思う.頭は常に動かしておくべき ((これは理想論であって,現実的には頭を働かせない方が良いときも確かにある.それは考えたって仕方がないときで,たとえば何かを始めたてのとき.とりあえずその道のプロに言われた通りに身体を動かして,「その道」の考え方を身につけることが大切.初心者が自分なりに頭を働かせると変なクセがつきやすいということ.)).ただその動かしかたを上に書いたように不安解消に向けたり,もしくは効率化にはどうすれば良いかを考えたりという風にする.不安要素が残っていたら,作業の結果としての成果に対して自信を持てない.やり遂げたという達成感は,その成果に何の保証も与えてはくれない.

言いたかったこと

リンク先の文章は,何十年と連れ添っているうちに嫌なところばかりが目につくようになってしまった熟年夫婦の考え方のように思えた.ただ「嫌なことや悪いことが起こらないように」と考えてしまう感じ.「良いことや楽しいことはどうすれば起こせるんだろう」とは考えられていない.それじゃあこれから先ずっと不安で泣きたくもなる.発想の転換をすべきじゃないのか,と言いたかった.一生連れ添わなければいけない不安であるのなら,いっそその不安を糧に成長しようと思えるかどうか.