最終更新日: 2011/10/16 作成日: 2008/05/12

お願いごと:読み始めたら出来る限り最後まで読んでほしい。何か具体的な数字とか間違ってたら教えてほしい。

世の中には色んな壁があるが、人によってはそれが溝だとか、断絶だとか言うかも。

午前3時にテレビを見ていた。「映画『バベル』には ろう者 が400人出演しているにも関わらず日本語の字幕がない」 という切り口で壁の一つを考える番組。「ろう者」とは聴覚障害をもってる人のこと。

「障害者」の話になると何故か

  • 障害者は可哀想!聞いてあげなきゃ!的な人
  • 障害者?学校でいっぱいやってきたけどあんまり関係ないし、どうでもいい的な人

が目立つわけで、それはとてもとても鬱陶しいわけで。

まず「障害者は可哀想」という思考が僕にはよく分からない。僕からすれば耳が聞こえない人は、耳が聞こえないだけなわけで。そこに可哀想という要素は一切ないし、ありえないはずだから。その意味不明な「可哀想」という上から目線が僕には非常に鬱陶しい。金持ちが貧乏人に施しをするのと何ら変わらない上から目線が気に障る。

「お前は何様だよ」って。

障害者というテーマは道徳やらの時間で取り扱ったはずだ、多少。でも、身近に障害者という肩書きの人がいるなら話は別だが、いなければ分からんことがある。障害者の周りはやたらと連帯感があるとか、実際に身近にいなきゃ分からない。

言われれば何となく理解できないでもないかもしれないが、言われなきゃ気付かないようでは意味がない。勉強したからとか、学んだからだとか、知識を持っているだとか、そういうのは役に立たなきゃ意味がない。役に立たせなきゃ意味が生まれない。

「駅の切符売り場で最近はタッチパネル式が主流だけど、目が見えない場合はどうする?」「道を歩いていたら突然切れる点字ブロック。目が見えない人にはそれで道が切れてしまう」と番組で言っていた。

少なくともこれだけでも、 タッチパネルを採用した鉄道局は対策を考えた方がいいし、技術を開発する側は何かしらの対応策を考えていってもらいたいと思う。道路を舗装する人にも、道路工事を計画する人にも、注意してもらいたい。

差別問題に対して熱弁を振るうマジメ君がいたら、それを冷やかす輩もいるわけで、そういうヤツも鬱陶しい。ただ「真剣になること」をバカにしちゃいけない。バカにしちゃいけないと分かっていることを、バカにしない。冗談はちゃんと空気読んで言えってこと。

こんなことを言いたいわけじゃないんだ。

まず大前提に、たまたま知る機会があって、それを大切にしたいと思った。その「大切にする」というのは何か今後の些細なことにでも役立てることができるということ。(その場だけ「大切、大切」と言って10秒後には忘れてるなんていうは全く大切にしてない。) 役立てるというのは、人それぞれで色々あるだろうけど、僕の場合は、と考えた。

それで、文章を書こう、と。

「知る機会」はたまたま訪れるわけだけど、そのたまたまを演出するのはまた別の誰かなわけで、敢えて今回は自分が演出してみようということ。別に知らなきゃいけない義務でもないし、イイコちゃんだから発信するわけでもない。ただ「好いテレビ番組を見たな」と思ったから書くだけ。

こういうモチベーションが重要だと自分では思ってる。 たいがいは誰かの「たまたま」で生きてるんだ、みんな。

日本人が喋ってる映画のDVDには日本語字幕がない、ほとんど。日本語ネイティブで、音が聞こえる人には要らないといえば要らない。でも「音が聞こえなかったらどうだ?」というのが切り口。“ろう者の実際に出演”する映画「バベル」がろう者が見て愕然としたという話。日本人の話す日本語だけが聞き取れない、というか聞こえない、字幕がない。外国語を話すところにはしっかりと字幕があるんだ。日本語のところだけ字幕がない。押し並べて、邦画がだいたい見れないという話になる。別に日本語字幕をつけるくらいに費用や時間がそれほどかからないと思うんだが、違うんだろうか。日本人が話す日本語の字幕を作るだけで、技術的な面も問題ないのに。映画産業もキビしいのは知ってるつもりだけどさ。

テレビでは、「映画の日本語の日本語字幕」を法律で義務化を働きかけてる内容も流されてた。公明党の誰かと、石原都知事も賛同してた。DVDを売る側も対応すればいい。ソフトウェアのアップデートだけで済むだろうに。1年で417本の日本映画が作られているらしいが、それ全部に対応するのは難しいのか?何が困難なのか分からない。費用対効果を考えてみればプラスだと思うが。

言いたかったこと

世の中には色んな壁がある。 壁があるって気付くときはいつも、壁の向こう側に誰かいるときだけ。

耳が聞こえない人は、耳が聞こえない分だけ、耳が聞こえる人よりも困難が多い。 でも耳が聞こえないからこその何かがあるとも思う、少ないかもしれないけど。 だからじゃないけど、一概に「可哀想」っていうのは好かない。 別に軽んじて、「僕から見れば耳が聞こえない人は、耳が聞こえないだけなわけ」と言ったわけじゃない。

それから、障害者について知ることは義務じゃない。将来、何かを作ることになったりしたとき、「耳が聞こえない人が使うとき不便じゃないか?」とか、そういう気配りが出来る方がいい。身近に耳が聞こえない人がいないなら、それくらいで十分だろうし、それくらいしかできない。