最終更新日: 2023/01/02 作成日: 2023/01/02

新しい年が来ました.新年が明けて,久しぶりに何か書こうという気持ちになりました.去年はたくさんのライフイベントがあり,激動の年になりました.大人の階段を登った感じがすごくしています.

ひとには,役割があるのかもしれない.そう思うときがある.

自分の人生では自分が主役だけど,他人の人生にとっては自分は脇役なのだ.脇役として登場するからには,何かしらの役割があることになる.役割がなければ登場すらできない.そう思うと,自分の脇役としての役割は何なのかが気になってくる.

そう思う一方で,真逆のことを考えたりもする.

「自分が主役」「他人にとって脇役」というのは喩えだ.自分の人生を舞台に喩えたとき,自分が主役になるというのはただの喩えだ.文字通りに捉えて,自分を演じてはいけない.役割など決まっていない.自分の生きたいように生きるべきだ,と.

自分には役割があると信じることは運命論的であり,世界には筋書きがあると見なすことに繋がる.あまり強く信じない方がよさそうではある.

しかし,役割などないとも言い切れない気がしている.

たぶん「役割」という言葉が適切ではないのだろうが,それ以上に的確な表現が分からない.演じているわけではないが,そのひとの個性はあるわけで,特徴的であればあるほど役割は明確になっていくような気がしている.

自分が生きたいように生きたとして,そのひとの個性はなくならない.むしろ個性が強くなるだろう.そうなれば,役割は明確になる.個性的なひととして認識され,その役割を担うことになる.

つまるところ,現状からの外挿としての役割みたいなものはあると思っている.