最終更新日: 2019/02/17 作成日: 2019/02/17

いつだって良い方へと向かいたい。そうは思っていてもなかなか何処へ向かえば、それが「良い方」なのか分からなかったりする。実際にそんなときが訪れる前に、その対処法があるなら知っておくに越したことはない。だから少しそのことについて少し考えてみた。

ただ、究極的には、よいメンターを見つけることが最善の策だと思う。ちゃんとメンターに巡り会えれば良いけど、そうでなくても次善策としての対処法はあるはずで、ここではそれについて考えたい。また、この話はメンターとしての良し悪しを判断する基準にもなるかと思う。

と、大風呂敷を広げてしまったけど、そんな大仰な話ではなく、端的に言って、褒めて伸ばすか、叩いて伸ばすかの議論についての見解を述べたい。人生論ではなくて具体的な技能の話になるが、よいメンターは具体的なアドバイスをくれるものだ。結論から言うと「二元論的ではなく、適度にどちらも必要」となるが、その割合は褒めるを多めにすべきだとぼくは思う。そして次善策として、メンターでなくとも、そのようなひとが多く周りにいる環境に身を置くべきだと思う。そのような環境にいて、相談して、進むべき道を探す、というのが次善策だ。相談は大事。

以下、本題。

よく叩いて伸ばす派は「褒めたって伸びない」と言う。もちろん、褒めることが直接的に「伸びる」を引き起こすわけでなくて、褒めることでモチベーションを高く保ってもらって、その結果として伸びるというプロセスなんだと思う。褒めたってモチベーションが保たれなかったり、実際に「伸びる」ことに繋がる行動を当人が採らないと伸びない。モチベーションを高く保てるように褒める必要がある。そして、行動自体は当人が判断して実行するわけだから、何をしたらよいか分かっていないときに褒めたって伸びることはない。つまりは「褒め方を誤ったり、タイミングを読み違えると伸びない」というなら正しい。(こう言うと自明になっちゃうな…)

叩いて伸ばす派は、重要なことを2つ忘れている。ひとつは「褒めたからって伸びない」という主張と同様に「叩いたからって伸びない」のだ。そもそも「叩く」が曖昧な表現なので、「叱る」とか「良くないところを指摘する」と言い換えておく。そうだとしても、結局のところは当人が行動して改善して伸ばすしかない。(もちろん、方向性を見失っていたり、天狗になってしまっているときには叱ることや改善点を指摘することは、成長を促すだろう。)

もうひとつの叩いて伸ばす派の見落としは、「叩かれてばかりいるとモチベーションが維持できなくなる」ということだ。叩いて伸ばす派は、モチベーションの存在をあまり評価しない傾向にある(気がする)。それは「上手くなりたいならやるしかない」という立ち位置で、やる気云々は甘えか言い訳、あるいは、「そこまで上手くなりたくはない」と思っているかと判断しがちなためだと思う。モチベーションが高いと行動の能率や結果の出やすさにかなり影響する。「やる気」と言ってしまうと日本語の語感に引きづられてしまいがちだが、モチベーションの維持は、伸ばすための重要な要素だと思う。もしかすると最もと言っていいかもしれないくらいに重要な要素だと思う。

結局、能力を伸ばすのは当人であってメンターではない。メンターはいかによく方向付けできるようサポートするかなのだと思う。

成長をベクトルで言うなら、成長速度はベクトルの長さ、方向はどこへ向かって(あるいはどうやって)成長するか、と捉えると分かりやすい。成長速度はモチベーションにかなり依存し、筋が良い方へ向いていても、長さが短いと進みが遅い。色んな方向に向きを変えていても、ベクトルの絶対値が大きいと、もしかすると成長は比較的早いのかもしれない。

あと、ベクトルの絶対値が大きいと、些細なことで迷う(惑う)ことが少ない気がする。