最終更新日: 2019/02/09 作成日: 2009/08/29

電車内でのマナー に関連して、「優先座席」について思うところがある。

全席優先座席から区分的優先座席へ

2007年以前、阪急電鉄では全席を優先座席としていたが、それを廃止し、区分的に優先座席を設置した。これは「(全席が優先座席では)席を譲ってもらえないことがある」という意見を背景にしているようだ。ただし、全席が優先座席だという認識が、乗客に十分浸透していなかったことも事実である(実際、ぼくも全席が優先座席だと知らなかった)。

ところが、それでは優先座席とそうでない席との差異が曖昧になるのではないか。「区別する」ということは、それぞれを違うものと見なすということで、ここでは優先座席が「何らかのハンディキャップを持つ人に優先的に利用してもらう」という意味を持つとするならば、果たして優先座席でない座席についてはどのように考えたらよいだろう。そのような人を優先させなくてよいという意味になってしまうのではないか1

「座る場所で態度を変えろ」というのではいくらなんでも筋が通らないように思う。

優先座席を設置した意図を考えるならば(優先座席でなくとも)ハンディキャップを持つ人に座席を優先的に利用してもらうべきだろう。それでは結局のところ、全席を優先座席にしている方が分かりやすくていいのではないかとぼくは思う。いまのところ、区分的に優先座席を導入している路線が大多数なので、阪急は「他とは違い、全席が優先座席である」と周知させることに徹するべきだったとぼくは思う。

区分的優先座席のメリット・デメリット

上の議論を大雑把に言えば「紛らわしいから全席優先座席にしておくべき」と言うようなものだ。 これではあまりに議論が短絡的すぎるので、現在ほとんどの電鉄で採用されている“区分的”優先座席のメリット・デメリットを述べてから結論の妥当性を問おうと思う。

まずメリットだが、それは明示的に優先座席があるので、その近くまで行けばハンディキャップを持つ人は譲ってもらいやすくなることが挙げられる。 ただ、これは見た目で分かるようなお年を召した方や身体障害者、臨月の妊婦などに対してのみ有効だということも忘れてはならない。譲られる側のメリットとしては上記のようなもので、譲る側としては「譲ってあげたい思いはあるけれど、恥ずかしくて声が掛けられない。優先席なら少しは勇気がでる」というものが挙げられる2 。ざっと思いつく限りではこれだけだが、全席が優先座席であれば(かつ、それが乗客に浸透していれば)上記のメリットはあまり意味をなさなくなるようにぼくは思う。

優先座席を設置することによるデメリットは、多少なりとある。

たとえば、普通の座席が満席の場合でも、優先座席には空きがしばしばあり、そこに座らず立っている人がいる。 冷静に考えてみれば、異様な光景だと思う。これには乗客のどういう心理が働いているのだろうか。 少し考えてみると、「自分が座ったとして優先的に座れるような人が来たとき、席を譲らなければいけない」と考え、「結局、席を離れなければならないのならば初めから座らないでおく」とか「席を譲りづらい」とか思うのだろうと想像できる3

それは大げさに言うと「優先座席」という名の強制があるからだ。自分は座っていたい(「他人に譲りたくない」に繋がる)が優先座席なので譲らなければならない 。自発的に席を譲るのであれば全く問題でないのに「優先座席」という名が付いているだけで強制的な印象を受けてしまう。 それはマナーではなく、規定であることに起因している。ちなみに優先座席に優先的に座ることのできる人が普通の席に座ることが、このような状況を引き起こす遠因になっているようにも思う4 。このデメリットは全席が優先座席であればなくなるだろうと容易に推察できる。

また、多くの人が感じていることだが、優先されるべき人なのか判断しかねることもしばしばある。 妊婦なのか、それともただ太っているだけなのか。 見た目は老けているが、実はまだまだ若い(と本人が思っている)のか、など。 判断する材料が外見しかないので、難しいところではある。ちなみに、このデメリットは全席を優先座席としてもなくならない。

マタニティ・マーク
h0301-1: マタニティ・マーク

この問題に対する一つの解決策としてのマタニティマーク という試みがあるのを知った。

お腹の中に赤ちゃんがいることをPRして、より譲ってもらいやすくするということ。 譲る側が躊躇ってしまうものの中で大きなものが、「善意のつもりが逆に不愉快なおもいをさせてしまうのではないか?」という不安である。だから 「譲ってもらえるとうれしいです」というアピールでそれを取り除こうというもの。 なるほど、譲られる側はその厚意に甘んじて、素直に席を譲られることが大切なのだ。内部障害や内臓疾患者に対しても同様の効果が期待できるマークとしてハート・プラス というものがある。

もちろん、これらのマークがこの問題を完全に解決してくれるわけではない。残念ながらこれらのマーク自体にも新たな問題を含んでいる5 。 社会の在り方を考えるとき、利点だけに止まらず、それを用いたときの弱点さえ考慮に入れて、出来る限り現実的な最善策を打ち出さなければならない。ただ、これらのマークで表現するという試みに大きな意味があるとぼくは思う。

優先座席のよりよいかたちを探して

優先座席はどうあるべきか。ぼくなりに考えてみたが、やはり全席が優先座席であるべきだと思う。

ここで、「ハンディキャップを持つ人に席を譲る」それ自体はマナーとして成り立たないことを指摘しておきたい。 着席している人がみな挙って「席を譲ります」と言い出してしまうと、わけの分からないことになってしまう。 全席が優先席の場合、「乗客すべてが善人である」「自分だけ楽をしようと思う者は居ない」という前提がなければ成り立たないわけでない。 ハンディキャップを持った一人のために、一人が席を譲ればそれで十分なのだ。 電車を利用する人すべてが守らなければならない「ケータイの通話を控える」ということとは全く違うものである。

そこで一つの大きな問題が頭をもたげる、「誰が譲るのか」だ。

それに対する一つの解決策として、譲る側の人にも優先順位を決めればいいのではないだろうか。例えば、ドアに一番近い席に座っている人が譲るというようなものだ。その4席にはすでに、優先されるべき人(もしくはどうしても座っていたい人)が座っている場合は順次奥へと譲るべき人が移っていく。誰かが譲らなければならないけれど、それが自分だと納得できないと、快く譲れないものだから、こういう決まりは良いように思う6 。 その取り決めが周知されなければならないが、それはマナーとして成り立たせることができるはずだ。皆の共通認識で「誰が譲るべきか」を決めてしまうのである。

最後に、席を譲ることを恥ずかしがる人に対しては、少し勇気を出して声を掛けることをおすすめしよう。 もしも、声を掛けて不愉快そうに断られたとしても、めげずに繰り返し声を掛けていこう。 そこでやめてしまっては、より一層よくない方へと流れてしまう。 一人でも多くの人の、少しばかりの勇気が社会を変えるとぼくは信じてやまない。

蛇足かもしれないが、いつもいつも譲らなければならないわけでもない。 自分の体調がよいとき、少し心に余裕があるときに、その余裕をハンディキャップのある人におすそわけしてみてはどうか。 ぼくはそういうモチベーションで優先座席を考えていきたい。 席を譲ってもらう人の数だけ譲ろうと思う人がいれば、それで十分なのだから。

余談1;優先座席に座る人

「優先座席」でグーグル検索していたら、いろんな人が思いおもいに優先座席のあれこれを書き散らしているのだと知った。 その中で少し面白い優先座席の解し方があった。

すでに優先座席に座ってるのは、次乗ってきた人に譲れない人たちと思いましょう。

優先座席は優先的に座れるんじゃなくて「もう代われないからね!」って意思表示を含んだ物だと思いましょう。 見た目元気そうな青年でも、内臓疾患は分かりません。 自宅から離れた病院にギリギリ電車に乗っていける状態かもしれません。 そんな人に「若者よ、年寄りに席を譲りなさい」なんて言っても酷い話でしょ? だから、席を変わって欲しい人は優先座席以外の所で交渉してね。 元気な人は優先座席に座らないんだから。

以前、阪急電車が「優先座席だけが優先座席じゃない。そこしか座れないのも不自由だから」と 廃止した事がありました。でも、また復活してます。 考え方としては正しいことだと思います。 ただ、早かったのか、遅かったのか、時代が悪いのか、、、 ま、そんなところで上手く行かなかったんでしょう。

「優先座席論」- A計画の作戦会議

優先座席に座るということを意思表示にするということ。 ただ、この案を採用するとしても周知が徹底されていないうまくいかないだろう。 またこの場合、満員電車にも関わらず優先座席のところだけ空席になっているという不合理な状況が起こりかねない。 そういう意味で単純にこの案を採用すれば問題解決というわけでもないだろう。 改良の余地ありと言ったところか。 何やら上から目線なコメントになってしまっているが。

余談2;席を譲ろうと申し出て遠慮し合いになった場合の解決策

「席、変わりましょうか?」

「(遠慮しがちに)えぇです、えぇですから。」

「変わりますよ、ぼくは大丈夫ですから。」

というふうな状況になると、どちらもやりにくくなる。ここで一つの解決策として、相手の降りる駅を何処か訊ねてみよう。自分よりも先か同じ駅ならば譲ってしまおう。「ぼくはどうせ○○で降りるので、どうぞ」と言ったら相手も納得するだろう。逆に自分の方が長く電車に乗ることが分かったら「じゃあ(相手の降りる)△△駅までは座ってください。そのあと○○駅まで座らせてもらうので」と言えば、相手も納得してくれるかもしれない。どのみち譲るのだが、何かしら尤もらしい理由があれば、お互いが気兼ねせずに済むと思う。


  1. それを意識していないとしても「優先座席じゃないから自分が譲らず座っていてもいい」と考えるならばそう考えていることと大差がないと言えるのではないか。 
  2. ただし、そういう中途半端な思いで優先座席に座るならば、あるいは席に座らずに立っているかもしれない。 
  3. しかし「優先」座席であって、「専用」座席ではないのだ! 
  4. もちろん普通の席に座ってはならない理由などない。 
  5. その一つに、障害者が自ら「自分は障害者です」と胸を張って言えるような社会でないと、あまり内臓に障害があることを示すマークは活用されないだろう。また、自分がハンディキャップを抱えていることを表明してしまうと、犯罪のターゲットにされやすくなる可能性もあり、治安が十分よいことが要求される。 
  6. この優先順位を決めるというのも、強制ではないことが必要だろう。そこが難しい。